どうも、三度の飯よりスーツケース!スーツケースの伝道師さとです。マイクロツーリズムを徹底的に楽しむということで、真夏の国分寺に行ってきました。そこで行われたのは、おじさん5人による珍道中…いや、もやもや散歩。
前編では西国分寺駅から徒歩15分程度の場所にある、武蔵国分寺跡の金堂跡までの散歩に2時間を費やした一行。無事にゴールまでたどり着けるのか?では後編もどうぞ~。
自然と歴史と人が共存する街
ツナギビト杉田:七重塔跡までやってきました。この辺りの広場は桜の名所でもあるんですよ。
伝道師:ほー。それを聞くとまた春に来たくなりますね~。
金堂・講堂跡から200mほど離れた場所にある七重塔跡。
学芸員増井:七重塔は「金字金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう) 」を安置する国分寺の重要な施設で、造塔の寺は「国の華」とまでいわれていました。高さは約60mほどあったそうですが、現在は礎石だけが残っています。 835年に七重塔が神火で焼失して、しばらく復旧ができなかったのを、男衾郡(現在の埼玉県比企郡付近)の前大領である壬生吉志(みぶのきし)福正という人物が、845年に再建を願い出たんです。発掘調査では同じ位置で再建されたことを確認しているんですが…その後の地下レーダー探査により、礎石の残る塔跡から約50m離れた地点で、もう一つの塔跡が発見されたんです。
はい、またクイズです。もう一つの塔跡は何のために離れた場所にあったのでしょう?
伝道師:はい!はい、はい!!再建で失敗は許されないから練習用にあっちで作ってみた?
学芸員増井:なるほど…。答えはですね…実は諸説あるんですが…わかってないんです。
伝道師:わかってないんか~!!
学芸員増井:もしかしたら練習用かもしれませんよ(笑) 有力な説だと、見つかったもう一つの塔跡で福正が再建しようと試みたんですが何らかの事情で断念し、そのあと武蔵国の諸郡が協力して元々あった塔の位置で再建したというものですね。それでもまだまだ謎は多いです。ちなみに当時の七重塔を見たい方は「ぶらり国・府」というアプリをダウンロードしていただくとARで見ることが出来ますよ。
石の表面に薄っすらと瓦模様が確認できる。
学芸員増井:おっ、これは瓦ですよ。当時に作られた瓦が実は今でも石のように転がっているんです。
伝道師:1300年近く昔に作られたものが、気づかれずにひっそり転がっているなんて浪漫を感じますね~。(ポイッ)
学芸員増井:こらっ!もう少し丁寧に扱って(笑) …やれやれ、続いては国分寺楼門に向かいましょう!
江戸時代の建築様式をとどめた風格ある楼門。
学芸員増井:あの楼門はもともと国分寺にあったものではないんです。東久留米市に米津寺(べいしんじ)というお寺があって、そこが火事にあった際に復興のために売りに出されていたのを購入して、ここまで運んできたんですよ。1895年(明治28年)のことです。
シュガーK:しかしこれ、どうやって運んできたんですか?
学芸員増井:すべて分解して組み立て直せる構造になっているんです。
装飾を抑えた質実な作風。
シュガー:スーツケースの伝道師的には、この楼門はどのように映りましたか?
学芸員増井:さて、ここからはお鷹の道遊歩道を進んでいきたいと思うのですが、ちょっとこちらに来てください!
手づくり郷土大賞の記念碑とともにポーズをとる増井さん。
伝道師:手づくり郷土(ふるさと)大賞?
学芸員増井:手づくり郷土賞はその地域固有の自然や歴史、伝統、文化や地場産業等を貴重な資源として積極的に利活用した、魅力ある地域づくりの活動や資源を、国土交通省大臣が表彰したものなんです。大賞は一般部門で受賞した後、さらなる活動の充実が認められたものしか受賞出来ないんですよ。国分寺崖線の湧水を集めて流れる清流沿いの小径を「お鷹の道」と名付け整備された、約350mの遊歩道が受賞しました。
伝道師:それは凄いですね。継続して活動していくって本当に大変ですからね。
ツナギビト杉田:国分寺市観光協会としても、未来に受け継いでいきたい貴重な財産だと思っていますし、こうして改めて記念碑を見ていると身が引き締まります。
真夏の日差しも避けてくれるお鷹の道遊歩道。
学芸員増井:江戸時代、ここ一帯は尾張徳川家が鷹を放って狩猟を行う御鷹場(おたかば)に指定されていたことから、「お鷹の道」と名付けられました。御鷹場では獲物がいないと鷹狩りが出来ないとうことで、獲物が生息しやすい環境が作られたわけです。
伝道師:ある程度自然に任せていたのではダメなんですか?
学芸員増井:そう簡単ではないんです。例えば、鳥や小動物が居つくように、大きな音をたてたり、騒がしくする恐れがあるものはすべて禁止されたんです。具体的にはイノシシやシカなどの害獣駆除の鉄砲の使用や、収穫期の田畑で鳥よけに使う鳴子(なるこ)という道具も制限されるなど、農業そのものが成り立たなくなるような規制がたくさんありました。それに神事祭礼の際も、あらかじめ届け出ないといけなかったんです。太鼓をたたくと音がで小鳥がびっくりして居つかなくなるという理由です。家や蔵の建て替えすらも事前に許可を得なければならなかった。さらに年貢は納めないといけませんからね。農民たちはお鷹場の維持のために大変な苦労を強いられていました。
シュガーK:そういうもやもやを当時の人は抱えていたのですね。現代にも通じるところがありますね。
ツナギビト杉田:そうした苦労の末にこの環境が守られてきたということを後世に伝えたいですね。今の取り組みとしては地元の市民団体によって蛍の餌になるカワニナが育てられていて、蛍と共存できる環境整備を続けています。そうそう、共存という意味では、この史跡と共存している面白い場所があるんですよ。「史跡の駅 おたカフェ」です。
史跡の駅 おたカフェは憩いの場になっている。
学芸員増井:全国で初めて史跡の中にまちの駅を作りました。トイレのある無料休憩所兼案内所として、食事はもちろん、展示ギャラリーがあって国分寺ならではのお土産も購入できますよ。市民ボランティアによる史跡ガイド(無料、要申込み)の受付も行っています。
おたカフェ内には可愛い雑貨も。
ツナギビト杉田:国分寺瓦が模様になった食器なんて可愛くないですか?
シュガーK:ほっこりするデザインですよね!私も何かお土産買って帰ろうかな。
伝道師:史跡に溶け込みながらゆったり休憩できる。贅沢な空間だと思います!
学芸員増井:おたカフェのすぐ目の前にあるこの立派な門の奥は「おたかの道湧水園」です。
立派な長屋門が目印。この日は既に閉館時間で入れず。(入園料100円)
学芸員増井:園内には庭園や国分寺村の名主であった本多家の住宅倉、七重塔の復元模型や資料館があります。入園は午後4時45分までなので今日は残念ですが…。
伝道師:くぅ~悔しい!
ツナギビト杉田:真姿の池湧水群に着きました。この辺りの水は冷たくて気持ち良いですよ!近所の子供たちの水遊びの場にもなっているんです。この辺りは環境省の「名水百選」、東京都の「東京の名湧水57選」にも選ばれているんですよ。
伝道師:うわーーーーーー!!!冷たくて気持ちいいいーーー!!!!
シュガーK:国分寺で採れる野菜は「こくベジ」の愛称で知られていますが、この水を知ると野菜が美味しいことも頷けますね。
(画像容量の関係で紹介出来ませんでしたが、カメラマンの鈴木智哉さん、もとまち公民館館長の久保さんも応援に駆けつけてくれました!ありがとうございました。)
学芸員増井:真姿の池の湧き出口です。この真姿の池という名前ですが、玉造小町という絶世の美女の伝説が由来になっています。小町は皮膚の病気にかかってしまい全国を回っていました。武蔵国分寺の薬師寺様に日参していた21日目、一人の童子が現れてこの池の水で身を清めるようにと言い残しました。言われたとおりにすると、病が治って、小町は元の美しい姿を取り戻したという伝説です。元の姿(真姿)に戻したということから、この池を「真姿の池」と呼ぶようになったんです。
伝道師:私も身を清めたら絶世の美男子になれますかね?
シュガーK:…………あくまで元の姿ですからね。
学芸員増井:さっ、先へ進みましょう。
小径をひたすら抜けて国分寺駅方面へ向かいます。
車道からだと見逃してしまいそうなくらい可愛い橋。
伝道師:なんだか短いけど風情のある橋ですね。
学芸員増井:こちらは不動橋といいます。日立中央研究所の源流から流れる野川と、真姿の池湧水群から流れる清流とが合流する地点に架かっています。ここにはちょっと面白いものがあるんですよ。
学芸員増井:石橋供養塔です。
伝道師:石橋供養?石橋を供養するってことですか?
学芸員増井:その通りです。石橋も踏まれて可哀想だなってことで供養しているんです。多摩地域から埼玉県にかけて見られる風習のようです。
伝道師:ホスピタリティが凄い!
学芸員増井:それに石橋を渡って村に疫病や災いが入り込むのを防ぐ目的もあったんです。
伝道師:おや?先ほど行った古代道路の祭りの跡で聞いた話に通じますね。平安時代も江戸時代も考えは似てるんですね!
ツナギビト杉田:こういうのも意外と気付かないんじゃないですか?
伝道師:えっ?普通のマンホールじゃないですか…あっ!湧き水のマンホール!!確かにこういうのも改めて気にしてみると発見が楽しいですね。
タイミングが良ければ富士山も見れるイエノウエノカフェ。
この日の日没は反薄明光線(はんはくめいこうせん)が出現しました。
伝道師:うわ~!!!なんだこれ!我々の旅を祝福してくれているみたいだ。
シュガーK:後光がさしているみたいですね!
シュガー:最高のシチュエーションですね!記念写真撮りましょう!
ツナギビト杉田:スタッフの子も呼んできましょう!みんな、入って入って。
イエノウエノカフェの皆さんも混ざって記念写真。
もやもや散歩を振り返って
伝道師:シュガーK、今日は私を誘ってくれて本当にありがとうございます。正直こんなに楽しめるとは思いませんでした。もやもやを抱えていたからこそ、美しいものに刺激を受けやすかったのかもしれません。もやもやがあるのも良いですね。どうですか、このもやもや散歩を振り返ってみて。
シュガーK:1300年前、感染症(天然痘)で約100万人の方が亡くなりました。当時の日本の人口は500万人でしたから想像を絶する被害の大きさですよね。時の聖武天皇は、危機に当たり、国分寺を全国約60箇所に建立する詔を発したわけですが、当時のお寺は、リベラルアーツや農業、工芸等の技術を伝える学校の様な場所でしたから、各地で教育が行われる機会になりました。
1300年後の統治者が、感染症の時代に向き合った結果、何とかして開催にこぎづけた肝入りの政策とも言えるオリンピックは、後世にどんなレガシーを残せるのでしょうか。
遠くに行けなくても、近くに素敵な場所を見つけること。世界を広げるのも大事だけど、原点を見つめるのも大事だということ。成長のベクトル以外に、成熟のベクトルも意識すること。そんなことを考えさせられました。
シュガーK:場所を変えなくても、時間を変えることでも旅って出来そうですね。
伝道師:おっしゃる通り。私は早朝散策をするのですが、動き出す前の街の姿って舞台の裏側みたいでそれはまた楽しいんです。普段とは異なる生活の匂いを感じることが出来たりもします。今回であれば1300年前と現代という時間を大きく超えた旅でもありました。
シュガーK:昔と今は繋がっていて、僕らも未来から見た歴史の上にいるってことですね。1300年前も現代と同じようなもやもやを抱えていたことを感じました。時間を超えて歴史上の人物と繋がれたような感覚です。
余韻に浸っているのか、自分に酔っているのか不明なスーツケースの伝道師。
おわりに
『スーツケースの伝道師×もやぴ 真夏の国分寺でもやもや散歩』はいかがだったでしょうか。もやもやの種がこのような花になりました。皆さんに少しでも旅気分がお届け出来たならとっても嬉しいです。これをきっかけに身近にある街を見つめ直してはいかがでしょうか?そうそう、マイクロツーリズムでも使えるトラベルグッズはたくさんありますのでチェックしてみてくださいね!
(下にトラベルグッズメモがあります。)
【おまけ】
・動画で振り返ってみましょう!(映像制作:シュガー氏)
・スーツケースの伝道師がおすすめするトラベルグッズメモ
①リュックキャリー:舗装の悪い場所ではリュック、疲れた時や背中に汗をかきたくないならキャリー、場面に応じて使い分け可能です!
②首元を冷やすアイテム:暑さ対策には首元から。結露しないネッククーラータイプがおすすめ。
③携帯扇風機:ネッククーラーとダブルで備えましょう。
④UVレインハット:帽子を被るなら撥水加工が施されたサファリハットがよいです。しっかりと日差しから頭部を守り、突然の雨にも対応できます。
⑤旅行用衣類圧縮袋:汗をかいたときの着替えは大事ですが荷物がかさばります。旅行用の圧縮袋でコンパクトにしておきましょう。
➅洗える衣類収納袋:着替えた後の衣類は洗える素材の収納袋に入れておけば、そのまま洗濯機で洗えて楽ちんです。
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